あなたの世界で息をさせて

UNISON SQUARE GARDENとナポリの男たちについての備忘録

家が嫌いである、ということ

『家族なんだから、そのくらい許してあげなよ』
『家族なんだから、なんてことないじゃん』

『家族なんだから、』

この言葉も、家族も、家族が住まう“家”というものも、とにかくすべてが嫌いだ。



家族だからなんだ、血がつながっているからなんだ、と思ってしまう。



きっと、この考え方の根源にあるものは、幼少期の経験なんだろうと思うし、このトラウマを乗り越えられない限りは、きっと『家族』というものが嫌いなままでいるんだと思う。



今はなんとも珍しくない片親の子供として育ってきた。
父親という存在は、母親に暴力を振るって、気に食わないことがあると大声で喚き散らし、アルコールに溺れている人だった。

いないほうがいい存在で、早くいなくなってほしかったから、離婚はすごくうれしいことだった。

保育園の年中さんから母親と兄と暮らしていて、母親は相当苦労してたと思うけど、授業参観や行事は欠席することなく来てくれて、いろんなところに連れて行ってくれて、なんでも好きなことを習わせてくれていた。

そんな生活が終わったのは小学校4年生の夏休み前。
保育園から一緒だった友達と離れ、『父親の元で』暮らさないといけなくなってしまった。
母親は、女の子は母親と一緒にいたほうがいろいろと教えられるから、このまま育てていく。って言ってくれたけど、
母親の主張は叶わず、兄とわたし、2人揃って父親の元へ引き取られることになった。

保育園からの友達と離れるのも寂しいし、母親と離れることはもっともっともっともーーーーーっと寂しくて、父親なんか大嫌いで、ずっと母親といれると思ってたから、その期待を裏切られたような感じがしてよりいっそう切なかった。

父親は父親で『お前らのことは娘とも息子とも思ってない』と初日に言い張り、兄と大喧嘩をしていた(こちらも父親だなんて思ってもないので、なんともなかったけど)

母親は心配して何度も何度も連絡してくれて、それだけがわたしの頼りだった。
知らない土地、知らない人、小学校のクラスメイトは敵意バシバシ。
いじめられたし、泣かされまくった。でも父親も、祖母も、祖父も、みんな見ないフリ。気づいてるのに。
兄と、電話口で異変に気づいた母親だけがわたしの味方だった。

噂によると、母親は何年も前に再婚して、子供もいるらしい。
それでも自分の子だから、って今でも兄にもわたしにも連絡してくれる。

一度、わたしは家から飛び出している。高校卒業した後、東京に逃げるように進学した。
約5年、東京で生活し、やっと新しい友達、環境、そのほかいろんなものに馴染みだしたとき、「いつまでそっちにいる気だ。うちには母親がいないんだからお前が帰ってきて家事をやらないで誰がやるんだ。」といって、むりやり引き戻された。

文句を言っても殴られるだけ、暴言を吐かれるだけ、わたし一人が我慢したらいいだけ、そう思って今まで生きてきた。


それが平和的な解決だと思ってたから。


でも、わたしがなにをしても、とりあえずは文句ばっかり言われ、お金を一応毎月入れても「少ない!!!!」って言われ、
たぶんわたしのやることなすこと、全部気に入らないんだろうなって思う。


家族だから、血が繋がっているから、こんなことが許されるのはおかしいと思う。

家族って、血が繋がっていれば家族なの??っておもうし、
そんなことだけで家族なんだから、って言いたくないし、言われたくもない。
わたしはそんなこと軽く言いたくない。
家族だから許せないこともあるだろうし(わたしはよく分かんないけど。)、
家族だけど家族じゃないから許せない、許したくないこともある。

温かな家庭で育ってきた人が言う「家族なんだからさ、」が、一番きつい。

わたしが生きてきた中で、大切な人ほど手からすり抜けていなくなってしまった。
家族というものが「大切」ではないわたしは、よく世間からも冷たいんだね、って言われるけど
あなたが大切だと思っているものが、どこかの誰かは大切でないように、わたしは家族は大切ではない人間なので、家族は大切である。というあなたの常識は通用しないし、そんなことを押し付けられても正直どうしようもないのである。
そういう人って、きっとほかにも何人もいるんだろうけど、家族だから・・・って言葉にとらわれないでいてほしいなって思う。