あなたの世界で息をさせて

UNISON SQUARE GARDENとナポリの男たちについての備忘録

きれいなこと と きたないこと


新年の挨拶は、ここではまだでした。
明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いいたします。


さて、タイトルどおり。
きれいなまま、生きているひとなんていないのだろうけど、最近まわりのひとがなんだかきれいすぎて、ひたむきすぎて涙が出る。

わたしだけが驚くくらいきたないのでは?と思ってしまうくらいには。


そもそもわたしがしている恋愛(ににたようなもの)はきれいなものじゃない。
まずそこから人に対する劣等感というか、そういうものがうごめいている気がする。
純粋に、好きになったけど、声を大にして話すようなものではない、それは間違いなく。

だから、純粋に、ひたむきに、ひとを好きになって、気持ちに向き合うひとに対してなんだか劣等感を抱いてしまう。
だいすきなUNISON SQUARE GARDENの「オーケストラを観にいこう」でさえも、「未完成デイジー」でさえも、
わたしなんかが聴いていい音楽ではないような気がして避けてしまう(こないだライブで聴いたら泣いてしまった、きれいすぎて。)

でも、さいきんはようやく解決の糸口がみえてきていて(解決にはまだまだとおい、けれども)
やっと半分ほど肩の荷が下りた感覚。
今年一年ががんばりどきなのでは、ないのだろうか。
そしたらもっと、みんなに笑顔で報告できるのかな、なんて考えてしまうよね。

でももしわたしからこの場でも、直接でも、なんでも。
嬉しい報告があったらめいっぱいお祝いして欲しい、です。
どういう風によろこんだらいいのか、いまから練習しておきます。ちょっと(だいぶ)気が早いけれど。

まあ、恋・愛にかんしては、わたしだけではなく、みんなが
自分の嫌なところと向き合っていかなくてはいけないのかもしれないよね。
だってきれいなところだけ見せて「好きになってください、わたしこんなにきれいなひとなのよ」って、そんなことできないもんね。
できるひともいるのかもしれないけど、それってなんだか嘘をついている気分。

そんな風に、きたないからこそ、ひとにだけはやさしくありたいと思っていて。
そうでもしていないと存在していていいのか、それすら分からなくなるから。

やさしく、やさしくないからこそ、やさしくありたいな。

オーケストラを観にいこうよ まだちゃんと声にできないけど
ああ 気持ちは膨れるばかりさ そんな今日は、一体、第何楽章?

いつか僕も死んじゃうけど それまで君を守るよ
頼りないけどそれなりに 笑わせてあげれるから
呼吸のような幸福を誓うよ
未完成のダイアリー そっと挟むデイジー